呉清源〜極みの棋譜〜

せりふや映像で説明しすぎない、行間の多い映画ってすごく好きなのだけど、この映画はちょっと行間が広すぎて迷子になりそうだった。ぶつ切りのエピソードの連続の中で、呉清源棋士としての偉業などの肝要な部分はほとんど文章で説明するという、怒涛のじらしプレイ。逆に、囲碁についてまったく不案内なので映画を十分に堪能できるのかしら、という鑑賞前の不安は払拭されました。なんか、そういう問題じゃなかった。どちらかというと、精神の探求に重きを置いていたような。つかみどころのない天才の魂の放浪の中で、絶対的に信じていたものが、信じるに値しないと気づいたときの絶望、といったあたりは、唯一理解できた気がしました。

静謐な映像の中にたたずむ張震のぼよよーんとした存在感が印象的で、今までに見たどの映画のチェン君よりもよかった。面構えもたたずまいも、年齢を重ねるごとにさらに魅力的になってきているのでは。天賦の才を持つひとの紙一重っぽいところが絶妙に体現されていて、一挙一動に見入ってしまった。日本語のせりふの言い回しがなんとも愛らしい。あと、日本人ではない東洋人男子の着物姿からほんの少しだけかもしだされるミスフィット感って、なかなかぐっと来るものだと初めて気づきました。そして伊藤歩が演じる昭和の妻の慎ましさは、現代の日本女性が失くしてしまった美しさだなあと、己を省みざるをえなかった。

ちなみに当映画での大森南朋の活躍度は、7%程度だったかと思われます(私信)。