エジプト・中東シリーズ 六日目:エルサレム

ホステルの食堂にパンや生野菜などが置いてあるので、パンをトースターで焼いてジェリーサンドをつくり、トマトやきゅうりをかじって、食べ終わったら皿は洗って戻す、という合宿っぽい朝ごはん。金曜の午後から土曜にかけてはユダヤのサバス(安息日)となり、店が閉まったり嘆きの壁が撮影禁止になるらしいので、急いで出発。トラムに乗って旧市街付近へ。
エルサレムの旧市街は約1キロ平方メートルの小さな区画なのだけど、四方を壁に囲まれていて、その内部はカトリック教徒地区、ムスリム地区、ユダヤ人地区、アルメニア正教徒地区と、宗教ごとに居住区域がわかれています。
ヤッフォ門から中に入り、バザールのなかのような小道を歩いていると土産物屋の客引きがすごい。イスラエルは静かだと思ったのに。。。疲れる。
Western Wall(嘆きの壁)とかかれた標識がところどころにあるので、それを頼りに迷路のような通路をぷらぷら歩いていると、なんとなくそれっぽい場所に到達。荷物検査を受け、壁の手前にある広場へ。さらにフェンスの向こう側の壁に入れるのはユダヤ教徒だけで、男女別々の入口があるっぽい。フェンスの手前で壁をぼんやりと見ていると、フランス人の消防士のおじさんに写真撮影を頼まれてパチリ。写真を撮る前にユダヤ教徒が頭に乗せる丸い布を装着していた。大阪に住んでいたそうで、いきなり流暢な日本語を話しはじめて楽しかった。

嘆きの壁のすぐ向こうがヨルダンだった時代もあるんだよなー、などと思いつつ、さてムスリム地区に行ってみようかしらと入口を探したのだけど、なかなか見つけられず。後から聞いたら、いずれにせよこの日は異教徒が入れない日だったそう。
ではゴルゴダの丘の上に建てられたという聖墳墓教会にまいりましょう。また細い迷路のなかを客引きの攻撃にへとへとになりながら、なんとなく迷子になりけっこうな時間さまよい続けてどうにか到着。
聖墳墓教会のなかには、十字架にかけられた場所、十字架から降ろされてマリアがイエスの亡骸に香油を塗ったとされる場所、そして墓になったという場所の三大ポイントがあり、入口から入ってすぐのところが香油を塗ったとされている場所になっていて、細長い大理石が置いてあり、信者が口づけをしたり頭を深くたれて祈っていたりします。このランプの下がそう。

キリスト教といってもさまざまな教派がありますが、この教会はカトリックとかコプト正教とかアルメニア系とか、いくつかの教派が共同で管理していて、それぞれの教派の祈りの儀式が順番に執り行われていて興味深かった。
そして教会の入口の右手の階段を登ると、そこが磔にされたところ。世界中いたるところにある十字架の上のキリスト像の、まさにあの姿が2000年近く前にあった場所(と、されている。諸説あるようですが)。祭壇のようなものがあって、訪問者は並んで順番に祭壇の前にかがんで十字を切ったりしていました。
まさか自分がゴルゴダの丘に立つ日が来るとは思わなかったと感慨深いものが。もともとエジプトだけに行くつもりの旅だったのに、理由もなく急にどうしてもエルサレムに行きたい、行かねば、という思いに突き動かされてやってきた不思議もあって、我が家は無宗教だけれど、父方が代々カトリックの家系なので今、わたし、一族を代表してここにいる!となんだか血がわきたつような感情が突如こみあげてきたりで、若干スピリチュアル・ハイ。
なかなか去りがたいきもちで教会内をうろうろしたあと、たぶんここはまた後で来るから、とどうにか教会を出て、ふたたび迷路の街へ。
安息日は厳密には金曜の日没から土曜の日没までを指すようなのだけど、午後はやめの時間にすでに多くの店が店じまいをはじめ、どこも閑散としているなか、すごく規模の小さそうな映画かドラマの撮影現場に遭遇。
マリア様が生まれたとされる場所に立つ教会があるらしいので、そちらを目指す。お目当ての聖アンナ教会の敷地に入ると、ちょうど同じタイミングで韓国からのカトリックの団体客が到着。彼らが教会のなかで祈ったり聖歌を歌ったりしているあいだ、一人で教会の庭をうろうろして写真撮ったりしていたら、庭にいたイギリス人の神父様が「きみも韓国人だよね?あのグループのひとだよね?」と話しかけてきた。まったく団体行動ができずに勝手にぶらぶらしている子みたいに思われていたらしく、ちょっとウケた。
そして教会に入ってそっと後ろの席に座り、ハングルのなかなか美しい聖歌に耳をかたむけていると、彼らを引率しているツアーガイドの女子が「一緒に歌いませんか?」と英語で話しかけてきたり、教会の庭にある古い池の跡地を散策していると前日にイラットのバスターミナルで会ったポーランドカップルと再会してちょっとおしゃべりしたりで、なんだか楽しい。
金曜の夕方には、修道士たちがキリストの十字架の道行き(ヴィア・ドロローサ)をたどる行列があるとガイドブックに書いてあったので、聖アンナ教会の近くにある出発地点らしきところまで行ってみると、軽い十字架を背負っているひとが確かにいた。でも、ふつうの観光客っぽい。ツアーのグループなのか、英語ガイドと、十字架を持っているひとと、説明を聞きながらその二人についていくたくさんの人たちがいたので、わたしも便乗して後をついて行ってみることに。そうすればおのずとキリストの道のりをわたしもたどることができるという寸法。
ピラトに裁かれた場所を出発地とし、キリストが何度か倒れた場所や、マリア様が見守った場所など全部で14のステーションがある1キロほどの道のり。かつて通っていた小中学校のお御堂の三方の壁に十字架の道行きのそれぞれの行程を記した小さな絵がかかっていたのを思い出し、懐かしかった。敬虔なきもちでキリストが歩いた苦難の道をしみじみとたどる。
どこかのステーションで、ツアーの人たちが建物のなかに入ってなにやら見学しているのを建物の外でぼーっと待っていたら、日本人の女の子二人組に声をかけられ、しばし歓談ののち、彼女たちと一緒にを歩くことに。
ヴィア・ドロローサの終点はもちろん、数時間前に訪ねた聖墳墓教会。MちゃんとSちゃんと引き続き一緒に教会のなかを散策し、先ほど混み合っていて入れなかったキリストの墓に足を踏み入れるための行列に延々と並びながら延々とおしゃべり。やーっと順番が廻ってきたけど、係のひとが超ピリピリしていて、ハイさっさと出て、もたもたしない!そこ、もうお祈りはやめて!と参拝者を叱責しまくっていた。世界有数の神聖な場所で働いているというのに、かなりストレスフルなご様子。
かなり長いこと教会のなかにいたようで、建物を出ると真っ暗。ご飯食べに行こ〜、とヤッフォ門まで歩いていると、ユダヤ正教徒の集団が続々とやってきてテンションあがる。ルアンバパンでお坊さんを見かけるたびにワア、と気分が盛り上がるあの感覚にも似て。たまにものすごくふっかふかの黒い大きな丸い台のような帽子をかぶっている人までいて気になる。

旧市街を出ると、安息日の街は完全に死んでいた。トラムもバスも運行停止、すべての商店やレストランが閉まっていた。まだ6時前なのに。なんかすごい。
たまーーーーに空いているスーパーとかレストランもあるにはあって、後から聞いたんだけど、政府にお金を払えば、サバスに店を開けることは可能らしい。レストラン難民と化した観光客相手のビックなビジネス・チャンスなのでは。
アジア系のレストランで「米おいしい!米最高!」と感激しながら晩御飯。MちゃんとSちゃんは世界一周の旅の途中なのでめちゃくちゃ羨ましい。久しぶりにちゃんと日本語が話せてうれしいし、すごくいい子たちで楽しくて、ふたりと会えてほんとよかった。翌日にはヨルダンに向かうふたりと東京での再会を誓ってお別れし、人気のないトラムの線路沿いを歩いてホテルまで戻る。

ホテルの近くでうろうろしている猫を追い回して写真を撮っていたら、近くにいたきわめて真面目そうなユダヤ正教徒の装いの若者3人組の一人が「すみませーん」と追いかけてきた。真面目も真面目な方たちであろうから、警戒心もなく立ち止まったらヘブライ語でばーっと話しかけられきょとん。
彼は急いで仲間を呼びに行き、仲間が通訳に。いきなり「シングル?結婚してる?」と、ピラミッド周辺を思い出す質問に吹いた。シングルよ〜、と答えたら、「何歳ですか?」と問われて答えると、「こいつが、あなたと知り合いになりたいそうです。彼とつきあってくれますか?イェス?ノー?」と。その男子の年齢を尋ねると18歳年下だった。ウケる。その後もしばらくなかなかの粘りを見せた彼でしたが、いやいや、ごめんなさいねー、バイバイ!とどうにかお別れ。歩きながらふと、今のは彼の罰ゲームだったのでは、という卑屈な疑念が頭をよぎる。あきらかに異教徒の女に声をかけるあたりも怪しい。そういえばもみあげは巻き髪状になってなかったので、ものすごく厳格なユダヤ教徒ではなかったのかな。まあ、面白かったからオッケー。