Lost in Translation

東京国際映画祭では、あらゆる日本語のイベントに英語通訳が立ちあうのかな?『7月24日通りのクリスマス』の舞台挨拶でも『プラダ〜』上映前のトークショーでも感じたのだけど、ざっと見たかぎり観客の99%が日本語ネイティブの会場で、マイクを使って日→英の逐次通訳が行われるというのは、非常に効率が悪いような。流れがいちいち寸断され、話している人も通訳者もどちらもやりにくそうだし、観客は拍手のタイミングを見失い、なんともぎこちない空気で。舞台上の話者が日本語以外の言語を話す場合の通訳に関しては今までまったく感じなかったこのモヤモヤ感は、なかなか新鮮な発見だった。

この世にはパナガイドという便利な機材があるのだから、使ったらいいじゃない!とすごーくすごく思いました。進行が全て日本語で行われる催しに関しては、英語への通訳を必要とする観客や取材者に入り口でレシーバーを渡し、通訳者は送信機をつけて舞台袖で訳出、というのが流れもスムーズで、誰もがハッピーでいられる気がします。予算及び配布・回収の手間の問題はあるかもしれないにしても、プログラムの円滑で効率的な進行を考えたら、断然パナガイド、あるいはそれに類似した機材(って他にあるのかな?)の活用が望ましいのでは。

『7月24日〜』の方は、舞台上の人たちが通訳者に気を配りながら話していたので、まだ微笑ましかったのだけど、『プラダ〜』のトークショーの終盤、時間が足りなくなったのか、司会者が通訳の方に訳出する隙を与えない瞬間が何度かあって、嫌がらせ?机の下の足の蹴りあい?(昔、女性週刊誌の見出しで「ヤッくん岡江久美子、机の下の足の蹴り合い」というのを見て以来、はなまるマーケットを見るのが怖い)と、見ている方がハラハラしてしまった。