エジプト・中東シリーズ 七日目:エルサレム-ベツレヘム-エルサレム

前夜に引き続きまだサバス(安息日)の真っ最中でトラムもバスも走っていない、歩くひともいない街中。裏道を適当にぶらぶら歩いていると、突然大勢のアフリカ人が路上にあふれかえる場所を通過。大型バスがたくさん停まっていて、皆一様にものすごくおめかししていて、近くに教会があるという状況から察するに、バスをチャーターしてミサに来ている在エルサレムのアフリカ人なのかな?静まり返った街に突然あらわれた賑やかさやカラフルさが楽しかった。その地点を通り過ぎると再び誰も歩いていない、お店もすべてシャッターを降ろした静かな街。
目指していたのは旧市街のダマスカス門近くの、アラブバスのバスターミナル。アラブバスはサバスでも運行しているのです。お目当てのベツレヘム行きのバスを難なく見つけて無事乗車。後ろの席に座っていた、年の頃は8歳か9歳くらいの女の子がこちらをのぞきこんで来るたびに微笑み合っていたら、やがて「シャローム」(こんにちわ)と言いながらわたしの隣の席に移ってきて、ヘブライ語(か、アラビア語)でベラベラベラーと話しかけてきたので、ガイドブックの「わたしは日本人です」のヘブライ語表示を必死で探して指差したところ、「ああ」、となんとなく納得してくれた様子。通路を挟んで彼女の両親と赤ちゃんが座っていたんだけど、パレスチナ人の家族っぽい。
指差し会話で自己紹介したあとは、英語とヘブライ語(か、アラビア語)でまったく通じないのになんとなく通じ合う会話を交わし続けた。窓外の建物を指差して「あれは○○だよ」とかわたしに教えてくれたりしてるので、何かよくわからないままデジタル一眼レフでばしばし窓外の景色やその女の子の写真を撮らせてもらったり。カメラのデータに、去年の夏の台北ベネチア・パリのデータから北南米、エジプトに至るまでの写真が残っていたので、「これ、わたしのお母さん」「エッフェル塔だよー」「自由の女神だよー」とか言いながらお見せしたり。20分くらいふたりでやいやい言いながら交流していたら、終点の手前あたりで彼女の家族の目的地に着いたらしく、親に促されながら立ち上がったあと、降りるぎりぎりまでぎゅうっとわたしの手を握り締め、バスから降りたあとは窓の外からずっと投げキッス。この旅でもっとも心がなごんだひと時だった。
旅のあとも、パレスチナ問題と聞くたびに彼女の笑顔を思い出し、あの子がずっと幸せに暮らせる世界であって欲しいと心から願ってしまいます。
気づけばいつの間にかパレスチナ自治区に入っておりベツレヘム到着。前日に仲良くなった子たちが、バスを降りたところで客引きをしていたタクシーに乗ったら結局生誕教会とかメインのところに行かないまま終わってしまったと言っていたので、もう、意地でもタクシーに乗らずに歩く!と心に決めてバスを降りたら、案の定タクシーに乗れ乗れ攻撃。「歩くからいい」と言っても結構しつこくついてくるのでなんとか振り切った。ものの、地図を見ると確かに行きたい場所は遠いのよねえ・・・。
とりあえずGoogleマップ先生を起動し、チラ見しながらパレスチナ自治区の人気のない場所を一人でずしずし歩く。通りすがりのイスラエル兵に「こっちであってる?」とか聞いたりしつつ。途中、面白い壁画があるなー、とか写真も取らずにぼんやり見てて、後で知ったんだけど、なんと!!!バンクシーの絵だったらしい!!
どう考えても本家が本気で訴えたら勝訴するであろう店を発見。

たまに見えるChurch of the Nativity(降誕教会)はこっちですよー、の標識を頼りに、30分ほど歩いてなんとなく到着。教会前の広場でガイドいる?とかタクシーいる?とか聞かれるのが例によって面倒くさい。このクリスマスツリーは年中あるのかな?この土地がまさに元祖クリスマスの場所なのだね。

降誕教会の入口は茶室の入口みたいに小さい。そこまで小さくないけど、身をかがめなければ入れないくらい。教会の中はがらんとしたかんじ。地下がキリストが生まれた馬小屋のあの場所とされており、中に入るのに大行列。ああ、ここか、とやはり感慨深い。小学一年生のクリスマス会で聖誕劇を行うことになり、クラス全員一致でマリア様役に指名されて演じたのが、わたくしの人生における可愛さ絶頂期(惜しいタイプの子役レベルの賞味期限だった)のよき思い出です。まさか数十年後にあの馬小屋があった土地をひとりで訪れるとは、あのころは思ってもいなかったよね。
隣にあるMilk Grottoという、ヘロデ王の追手からマリア様とヨセフ様が幼子を連れて身を隠したという洞窟跡にたてられた教会が、壁も床も白い岩っぽいてこじんまりした空間でとても居心地がよかった。通りすがりの土産物屋さんに「カザフスタン人?」と聞かれた。これは新しいね!わたくしが日本人に見えないシリーズに、また新たな国が加わりました。
ぷらぷらと広場に戻るとまたタクシーの客引きが面倒なので、ほかのお客さんを降ろしたばかりのタクシーをつかまえてチェックポイントまで行ってもらった。外国人がパレスチナ自治区からエルサレムに戻るには、徒歩でチェックポイントを出て、壁の外にあるバス停からバスに乗らねばならないのです。鉄格子に囲まれた通路を歩きながら、なんだかいろいろ考えちゃう。

完全に国境的なX線チェックと身分証明書の提示があって、日本人はさらっと通れるのだけど、わたしの前にいたパレスチナ人のおじいさんと小さな男の子がIDを忘れたのか、係員に冷たくあしらわれて横にどかされて、足止めをくらっているのを見て切ないきもちになった。そびえたつ壁を眺めながら、なんだかいろいろ考えちゃう。
来たときとは違うタイプのバスに乗らねばならぬので、バス停で戸惑っていたら、近くにいた案内係か運転手さんが、どこ行きたいの?エルサレム?ならこのバスだよ〜、と教えてくれて安心。バスの中をお掃除中だったのでバスの前で待っていると、後からやってきたフィリピン人二人組の女性にタガログ語で話しかけられ、あ、ごめんなさい分かりません、と言ったら「あら失礼!フィリピン人じゃないのね」と英語で言われた。。。まあ、よくあることです。彼女たちはもう10年以上イスラエルに住んでるらしい。
バスの中から羊飼いが見えた!ベツレヘムの羊飼いだなんて、実にキリスト教的な響き。

とろとろとバスに揺られ、エルサレムに帰着。旧市街の外を壁沿いに歩きながらオリーブ山を目指す。地図だと近そうだけど、歩いてみるとけっこう遠い。
マリア様のお墓がある教会に立ち寄りしみじみしたあと、ゲッセマネの園へ。この響きも、カトリック教育を受けた者には懐かしいかぎり。イエスが捕えられた場所ですね。

オリーブの木が立ちローズマリーが茂る庭、という組み合わせが長崎の実家の庭っぽくてちょっと郷愁。あと、庭に神父様がいて観光客と立ち話をしている様子が非常に絵になっていた。近づいてみるとフランス語を話していた。前日のイギリスから赴任してきたばかりの神父様といい、神職者はやはりエルサレムを目指すものなのかな。
ゲッセマネの横にきれいな教会。教会の中に大きな岩があり、イエスが捕えられる前日に座って祈っていた岩とされているらしいです。ここも韓国人のカトリックの団体がいっぱい。しれっと観光バスに一緒に乗りこんで楽々移動したいという誘惑にかられたけど、がんばって旧市街のほうへと再び歩いて戻る。
適当な門から旧市街のなかに入ろうとしたら、なかなか門が見当たらず、気づけば西日の中をかなりの距離を歩きつづけていた。結局ヤッフォ門のほうまでかなり遠回りして、そのままホステルへと歩き続ける。なかなかの歩行距離。
ホステルのランドリーが空いていたので洗濯タイム。洗いあがりを待つ間に、ホステルのバーで本を読みながらビールを飲んでたら、ほかのお客さんが飲んでいるイスラエルのワインが超おいしそうに見えて二杯目はワイン。美味い!とウキウキしていたら、昼間にベツレヘムの教会で写真を撮ってもらった東洋人の女子に声をかけられた。韓国から来ていて、キブツユダヤ人の集団生活の場に宿泊できる施設かな、たしか)に泊まっていて、こっちのホステルに友だちがいるから遊びに来たとのこと。楽しい再会だった。
洗濯・乾燥が終わり、外に出ると日没とともにサバスが終わったため、街が生き返っていた。前日の静けさが恋しくなるくらいの賑わいで、これはこれで楽しい。前夜に行ったレストランのご飯がおいしかったので再び足を運び、お店で働いている日本人女性といろいろお話ができて楽しかった。もうちょっと日本語で話しましょ!ということで、彼女の仕事が終わったあと近くにあるご自宅にお邪魔させていただき、美味しいお酒を飲みながらトーク。豊かな経験値や強さを持つ尊敬できる大人の女性に新たに出会えた楽しさや喜びとともに、イスラエルという国の在り方や、そこで暮らすということ、パレスチナ問題などについていろいろと考えさせられました。かなりごきげんに飲み明かしたあと、わざわざホステルまで送っていただいて感謝。印象的な出会いの多い一日だった。