ディン・Q・レ展 明日への記憶

ベトナム戦争をモティーフにしたアートということで、心にずしりと来る部分も多いのだけど、どこか飄々としたところも印象的でした。戦争が起きるということはどういうことなのか、ひとはそのなかで何を感じるのか、ということがさまざまな形態で表現されていて、2015年夏の日本でこういうエキシビジョンが開かれているのは特に意義深いことであるように思えたり。

Teppei101さんがお手伝いで入っている日に突撃したので、現代アートの展示のなかに知っているひとがいるというのがなんだか不思議な体験でたのしかったです。

おお、その手があったか!と思ったのが、『地獄の黙示録』のマーティン・シーンと『プラトーン』のチャーリー・シーンの同じような心情や状況の場面を並べた映像。なるほどーー!オリバー・ストーンはあえて狙ってプラトーンのキャスティングをしたのかー!と今更ながらに気づいた。あの戦争に行った米軍兵士の心情がより重層的に伝わってくる気がしました。エミリオ・エステべスのほうがお父さん似だと思ってたけど、チャーリーも若き日のパパと並ぶとやっぱり似てるね。

難民船が置かれた空間に無数に広がる白い紙を手に取り裏返すとそれはベトナムから逃れたひとたちが国に置いて行った写真、という展示コーナーが心に一番ギュッと来た。そこに至る前に見た映像で空爆される家や森を見ながら、もしもあれが自分の住む家、遊びまわっている森だったら、とやたら感情移入していたのもあって、いたくセンチメンタルな気持ちになってしまった。ただピクサーの新作映画が観たかっただけなのに、上映前に突然ドリカムの歌が流れて知らん家の知らん子の泣き顔や知らんカップルの大量の写真を延々と見せ続けられたときの、あの空っぽな心もちとはまったく重みの異なる感情が湧きあがりました。写真を選んでスキャンしてもらうとそれがウェブに上がるという仕組みで、元の持ち主やその家族や友人たちがそれを偶然見つけるミラクルが沢山起きるといいのに、としみじみ思います。

そしてさらっと強烈だったのが、観光キャンペーンのパロディ。これ、他のいろんな国同士に置き換えたら非常にややこしいことになりそうよね。ほんとすごかった。



難民船を見て思い出したのが、子どものころ長崎郊外の山の中でベトナムからの難民にばったり出会ったときのこと。当時そこにあった難民の受け入れ施設の敷地からお散歩かなにかで出てきたのだと思うのだけど、硬い表情で歩いていた彼らが、わたしの父の顏を見た瞬間にぱっと親しみのこもった笑顔を浮かべ、父と楽しげにおしゃべりに興じたという、日本人ばなれしたアジア系風貌を持つ父のよくあるエピソードの一つ。今思うとあのとき何語で会話してたんだろ?

がらりと趣を変えてエジプト方面の展覧会も行ったのだけど、ここで見たターコイズか何かでできた横たわる猫の形の指輪に一目惚れしてしまった。欲しい!確か個人所蔵の品だったので、何億で入手できるのか真剣に考えてしまった。