シン・ゴジラ

あ!野生のガッズィラがとびだしてきた!
あ!ボールから抜けだした!
モンスターボールもスーパーボールもハイパーボールもズリの実も効かない!たとえボールを100億個なげても、まったくもってガッズィラを捕まえられない!OMG!!!
という、絶望的なパキモンGO感が味わえます。

注意:以下映画の内容がダダ漏れなので、これからシン・ゴジラに会いにいく予定だからネタバレはダメ!絶対!な状況下にいらっしゃる方は、そっとこちらのページをお閉じいただければこれ幸い。またのご来訪をお待ちしております。



もう、もう、とにかく面白かったーーーーー!!!今の日本においてこれだけの熱量を持って緻密かつ大胆に作られた映画に出会えるなんて、それを日本人としての様々な共通認識のもとに楽しめるなんて、ほんとうに幸せな映画体験だった。

好きだったポイントだけで274個ぐらい挙げられるけれど、なんといっても、新幹線がんばった!山手線をはじめJR在来線もめっちゃがんばったよね!!!!電車たちの予想外の活躍っぷりにたいそう心が震えました。物づくり大国ニッポンの意地を見た思い。

つい最近1954年版の『ゴジラ』をたぶん初めて観て、戦後9年であの映画を作った日本人の底力に感動したり、まだ戦火の記憶がなまなましい世の中で観客は街の破壊描写をどのような思いで見たのだろうと想いをはせたりしたのですが、『シン・ゴジラ』は311を経て我々が得た視点や感覚が大いに刺激され、この時代でしか感じえない心のゆらぎとともに観ることができる、特別なゴジラ映画でした。

前半の煩雑で回りくどい会議や承認プロセス、未曾有の事態における決断力や責任の所在の曖昧さ、迷走っぷり、そしてまずはとにかく作業着!というところとか、ザ・ニッポンの政治&お役所感がこと細かく描かれているのがウケた。
そして強烈にリアリティを感じさせる世界なのに、『ゴジラ』や『怪獣』などの単語や概念だけが欠落しているというパラレルワールド感がとても新鮮!

しかしゴジラという存在を知りながら生きてきた我々ですらも驚きを禁じ得ない、初上陸時のゴジラの異様な形状!お目目くりっくりなのよね。最後まであのにょろにょろズリズリした形態だったらどうしようと思ったけど、ちゃんと進化してよかった。クララが立ったー!くらいの高揚感を感じました。立ったら立ったで、喜んでる場合では全然なかったけどね。

石原さとみちゃんの役(靴がいつも素敵だった!)の、日系アメリカ人という設定におけるェアクスント(accent)とェアリテュードゥ(attitude)(アメリカーンな発音でお届けします)をどう受け止めたらよいか戸惑っていたものの、「おばあさんの国に3つ目の核兵器を落とさせたりはしない」という発言で一気にものすごく大好きになったし、その直後に広島、そして長崎の片足鳥居の写真が映し出されたとき、嗚咽が漏れそうになってしまった。この映画のこういう精神性がとても心にしみたのです。

日本の良い部分も微妙な部分も淡々と描いているところ、憲法や安保関連については左右関係なくニュートラルに処理しているところ、この国にはまだ確かに希望やまっとうな気概が残っているのだと思わせるところ、震災からの学びや復興へのエールなどを慎重にフィクションに転化しているところなどがとても好きだった。

各省庁や専門家が集結したチームや自衛隊のプロフェッショナルっぷりもしびれる。彼らの会話や指揮命令プロセスなど、耳から入ってくる情報量がものすごく多くて聞きなれない用語が飛び交うのが、くらくらする感じでとても楽しい。

壮絶な厄災に対してプロフェッショナルたちが死力を尽くす一方、市井の人たちの恐怖や悲しみの様子はごくミニマムに描かれていて、でもその端々から伝わるものがあり、観客の想像力や共感力を信じて作ってくれているんだな、と思いました。

会社の周囲をゴジラが荒らしまくるなか、でもあれだけの高層ビルだから大丈夫かな、もし仕事中にゴジラが来たら建物内待機でOKかな、と若干の余裕を持って観ていたんだけど、まさかの全方位ビームで度肝を抜かれた。あれはヤバいね。あれで完全に会社の建物やられたね。こわいよーーー。

最終的に、暴れる子どもを歯医者さんに連れていって治療を受けさせるような絵面だったのも最高。

都内が壊滅的な状態で歌舞伎座タワーの屋上から様子を見るシーンがあって、おお、歌舞伎座は無事なのね!とほっとした瞬間、ってか松竹のビルじゃん!さりげなくライバル会社のプロパティを残すとは粋だね!と感心しました。