巴淡島/新加坡旅遊 一日目 HND-SIN-バタム島

出発日の朝に両親が長崎から飛んできて羽田で合流してシンガポールに向かう、というフライトを手配していた今回の旅。出発の一か月ほど前に父にシンガポール行きの仕事が入り台風回避のため出発が遅れ、船でシンガに着いてすぐ飛行機で日本に戻ってまたその二日後に飛行機でシンガに戻る、みたいなスケジュールに。面倒だから、もう日本には帰らないでそのまま向こうで待ってるよ〜、という展開になり、急きょ父のフライトはキャンセルしてシンガ発の片道で再アレンジ。父は船で現地集合という我が家でありがちなパターンに変更。次いで出発日に九州を台風が直撃しそうな気配が漂ってきたので、母は前日に東京入りすることに変更。最初にアレンジした旅程ぜんぜん意味がなかったね。

ということで出発前日から母とグランパシフィックLE DAIBA(バスタブから観覧車が見えて楽しかった。そして夜のフジテレビの建物が一人香港シンフォニー・オブ・ライツみたいにめっちゃがんばっててウケた)にのんびり宿泊してリムジンで羽田に。お台場からだと近くて楽!つるとんたんでおうどんいただいて出国。私は出発前日に化粧ポーチを家に忘れてくるまさかの失態を犯しており、取りに帰るのが面倒なので、母のメイク道具に頼りつつあれこれ買い足す方向で免税ショッピング。コーヒー飲んで一息ついたらもう搭乗。

離陸して数時間後に台風とすれ違うらしく、お昼出発だけど飛行中のサービスはまずスナック、数時間後に食事という変則スケジュール。予告どおり出発して数時間後『晴天の霹靂』を観ながら滔々と涙を流している最中になかなか強烈な揺れが機体を襲い、母と何度も「すごいねえ」と顔を見合わせたんだけど、後ほど母が「飛行機が揺れたとき娘が怖がって泣いてた」と父に言ってた。ちーがーうー!!映画みて泣いてただけよ!!意外と悪くないといつも思うJALの日本発の機内食、今回はハーゲンダッツのマンゴー味までサーブされてすこぶるご機嫌。

ところで8/9は長崎で生まれて育った者にはとても強い思い入れがあり追悼と平和を心から祈る日であると同時に、シンガポール独立記念日でもあります。独立記念日のイベントのため混雑が予想され、到着が遅れる可能性があります、と機長さんがアナウンス。独立記念日の式典は大学時代に出席した記憶があり懐かしい。小学生の頃に覚えたシンガポール国歌は今でも余裕で歌えます。

シンガポールに着陸してからは時間との闘い。その日のうちにバタム島のNongsapuraという港に渡らなければならず、夕方以降のシンガからの船は18:30か20:30の二択。どうせなら早く着いてゆっくり晩御飯を食べたい。到着したのがほぼ予定時刻ぴったりの17:20だったので、すごくがんばれば18:30の船に乗れるかも、と判断し、飛行機降りてからめっちゃ早足で入国審査に向かい、荷物ピックアップして17:50頃には到着ロビーで父と無事合流。再会の挨拶もそこそこにタクシーに乗り込みTanah Merahのフェリーターミナルへ。空港から10分かからないくらいなので助かる。位置的にはチャンギの滑走路のすぐ先という近距離。3本目の滑走路を造る仕事に父が関わっていたことをこのとき初めて知った。

ターミナルのチケットカウンターにたどり着いたのは18:00。これはいける!と余裕をかましはじめたところで「イミグレは出発15分前にクローズします」という文言がはたと目に入る。そうだ!よく考えるとこれってシンガポールからインドネシアへの国際航路なのね。その概念がすっかり抜け落ちていた。カウンターのお姉さんが「うーん、とりあえず発券するけど、マジで急いでね」とあおってくるのでダッシュで出国カウンターへ向かったのがジャスト出発15分前。そして係員からの「その荷物大きすぎるからチェックインして」という宣告。「18:30のフェリーに乗るの!絶対すぐ戻ってくるから待っててね!」と出国審査官に叫び走りながらチェックインカウンターを探しあてると先客がいてやたらとのんびりしている。。。荷物を預かってくれたおじちゃんにも「もう乗船はじまるよ!急いで!」と言われ、OKラー!chop chop goingラー!と応えながらダッシュで再び「まだ大丈夫よね?18:30のに乗るから!」と叫びながら出国カウンターに戻り、無事出国。乗船ゲートへ向かうとまだ皆ならんで乗船待ち中だった!セーーーーフ!シンガポールに着いてから出るまでの1時間、早足か走り回っていた記憶しかない。一人旅ならこういうドタバタはよくあるけれど、70歳を超えた両親が一緒にダッシュで右往左往していたのはすごい。怒涛の1時間を振り返りながら母と笑い転げる。そして冷静になって父を見ると、これからビーチリゾートに数泊する人とは思えない身軽さ。これまで宿泊してたホテルに荷物は預けてきたとのこと。


どうにかフェリーに乗り込み、涼しい快適そうなシートの船内でゆっくりしようと思ったら父が船の後方へ。船って後ろのほうが揺れないって知らなかった。キャンプ用みたいなぺらぺらの椅子だけど、半屋外みたいな座席エリアで風がすごく気持ちいい!父が庭同然のシンガポール海峡のあちこちを指さしては何やら語っているのを聞き流しながら快適に進むこと30分。マングローブに囲まれた港が見えてきました。マングローブとか超ひさしぶりに見た。空には大きな月が出ていて、とても素敵な島についたようなきもちでテンションあがる。

船を下りてイミグレに向かう途中で予約していたバタムビュー・ビーチ・リゾート・ホテルの名前が入ったポロシャツを着た人に呼び止められ、ゲストリストに名前が載っていることを確認。送迎のシャトルバスがあるから建物を出たら乗ってね、あと、ビザ取得のお手伝いしましょうか?との申し出。送迎があるって知らなかったからうれしい。ビザは自分たちでできるから大丈夫〜、あとでよろしくね、と一旦お別れし、ビザカウンターでUSドルをお支払いして無事入国。シンガポールで預けた荷物が建物の外のカウンタにぽつんと置いてあってビビったんだけど、一個10000ルピア(90円くらい?)支払って引き取るシステムだった。シャトルバスから見える光景も素朴でいいかんじ。

10分ほどでホテルに到着し、チェックインの手続きをしながら父にクレジットカードを出すようお願いすると、「無い!貴重品を入れた袋が無い!」と慌てはじめた。さっきシンガポールターミナルでお父さんが持ってた半透明の入れ物だよね? もしかして走り回っているうちに落とした? 「あれに現金もカードもぜんぶ入ってるのに!どのポケットにも見当たらない!」旅行中の費用は私が全負担で、カード会社に電話して父のクレジットカードを止めよう。と静かに覚悟を固めているあいだもわあわあ騒ぎながらリュックの中身(少ない)をひっくり返す父。ずっと黙って見ていた母がおもむろにリュックの内側のポケットのひとつに手をつっこみ「これ?」と静かに半透明の袋を取り出した。「わあ、そんなところにもポケットがあったのか!」出たよ。。。まだ父と久しぶりに会って2時間くらいだったので、このころまでは天然爆弾を笑って楽しむ心の余裕がありました。

一番安いクラスを予約したので必要最低限のものだけの簡素な部屋だったけど、海が近くていいかんじ。にわとりの鳴き声が若干気になる。トリプルの部屋で率先してエキストラベッドに寝るよと言ってくれるのは父のいいところ。以前東南アジアのどこかで船室のエアコンが壊れて一週間くらい甲板に段ボール敷いて寝ていた(しかも70過ぎてからの話。星空がきれいできわめて快適だったらしい)逸話の持ち主なので、遠慮せずにふつうのベッドをいただきます。

父が以前このホテルに泊まったとき、中庭でBBQしたり、近くの桟橋の上でシーフードが食べられたりしてすごく良かったというので今回バタムに来たのだけど、BBQなどやってる気配がなく、それいつの話?と尋ねると10年前のことだった。ホテルのレストランでお食事。小食一家のなかで最も小食な父がビュッフェの食事がいい!いろいろ選んで食べたい!と言うので父だけビュッフェ、私と母はサラダとソトアヤム、サテーアヤムやナシゴレンインドネシア料理づくしで。ビンタン・ビアがめっちゃおいしい!

そして大きな皿に少しだけ一回盛ってきてちょっぴり食べてもうお腹いっぱい、と早々にごちそうさまする父。レストランの客はまばらで、フレンドリーなスタッフが入れ替わり立ち代わり我々のテーブルにやってきておしゃべり。ここのホテルのスタッフは皆とても感じがよかった。

食事のあと、ロビーのラウンジでバンドの演奏を聴きたい!と主張する父を残し、移動の疲れでぐったりの私と母は部屋へ。ここで海外用の電源プラグを持ってくるのを忘れたことに気づいた。旅行勘が鈍ってきたのかと寂しく思いながらフロントに行きプラグを持ってきてもらうのを待つあいだ、ラウンジエリアでやたらとバンドの写真を撮りまくっている張り切った東南アジアの人がいるなあと思ってよく見たら自分の父親だった。楽しそうでよかった。そしてふと振り返ると私の近くにナゾの仮面をかぶってマントを付けた人がすぐそばに立ってて、これ目を合わせちゃダメなやつだ。。。と見ないふり。
部屋で寝じたくをしていると父が戻ってきて、「バンド良かった!演奏のあとはマジシャンが出てきたよ!かっこいいお面かぶってたよ!」と興奮していた。あのひと、マジシャンだったのか。