ねにもつタイプさびしい。「[ねにもつタイプ」を読み終えてしまった。岸本さんの文章があまりにも好きすぎるので、一気に読みながらその言葉の妙技の海に存分に身をひたしたいところをぐっとこらえて、一日2,3編ずつ大事に大事に読む、というのがここのところの楽しみだったのに。読み終わってしまった。

昔から文筆家の書いた随筆が好きで、11歳のころ担任の先生との雑談の折に「どんな本が好きなの?」と聞かれ、「エッセイ集とか、よく読んでます」と答えた(当時は星新一ショートショートや北壮夫と筒井康隆の小説に夢中だったけれど、小学五年生の愛読書として挙げるには、あまりにも可愛げがないような気がしたので言わなかった)記憶を筆頭に、古今東西のエッセイ集を長らく読み続けてきました。そしてそんな読書歴の中でも岸本さんの文章は、ちょっと、もう、一番好きかもしれない。ということを前作の「気になる部分 (白水uブックス)」を読んだときに思って震えたものですが、この本でのさらなる濃厚な岸本佐知子ワールドに完全にノックアウト。大好きだ。

その世界の魅力といえばなんといっても、どこまでも自由すぎるイマジネーションと精緻な文章。リアルの中にしれーっともぐりこむ非リアル。わたしってヘンな子でしょ?、面白いでしょ?という肩肘はったところが皆無な、ひたすらクールな文体なのに、そこからにじみでてくるのは馥郁たる「ヘン」と「おかしみ」の香り。

外国語で書かれた文学を翻訳するという作業は、横書きの文字が自分の中に流れ込んできたときに感じる、ぼわぼわとした感覚や言葉のかたまりをぐっと手づかみにして、的確に縦書きの言葉に書き出す、という技術がなによりも必要だなあ、というのが、ここ数年わたしが勉強してきて感じていることなのだけど、岸本さんはその能力が非常に優れている人なのだと思います。幼少時の記憶、日ごろつらつらと思いをめぐらせているよしなしごと、あふれ出して止まらない妄想。そういった自分の内側に浮遊している言葉や感覚のおもしろさをしっかりとつかみ出して、その味わいを損なわない文章にする能力。彼女の翻訳書も好きだけど、エッセイももっともっとずっとずっと書き続けていただきたいと切に願っております。

どのエピソードもお腹がむずむずするような可笑しさがある中で、わたしが一番悶絶したのは、「小さい小さい富士山がほしい」というくだりでした。あったらいいよね、小さい小さい富士山。あるいは、わたしは小さい香港島と小さい九龍半島が欲しい。そして小さいビクトリア湾を行きかう小さいスターフェリーの上の、小さいセーラー服を着た小さいおじさんの仕事ぶりを毎日じっと観察したい。