墨攻

小説の『墨攻』は墨家の思想や実戦における戦略を明確に示していて、革離がどのように梁の民衆を指導し、組織を作り上げ、人心を掴んでいったかというのが丁寧に描写されているので、面白いビジネス書を読んでいるような気持ちでした。なのでアンディが登場してしばらくは、ああやっぱりこういう経営コンサルタントみたいなデキる役が似合うなあと思っていたのだけど、やがて小説の革離からはどんどん乖離していき、非常に人間的な揺らぎのあるキャラクターになっていったので、ちとびっくり。原作ではとにかく有無を言わせぬプロフェッショナルで人情の立ち入る隙のない感じだったのだけど、あの過剰なまでのルール厳守のやり口は、昨今の倫理にそぐわないのかしら。

すごくまじめに見ていたのに、おびただしい数の軍隊の場面でコンピューターグラフィック感丸出しの映像が出てきた瞬間、マイ・フェイバリット・ムービー『PROMISE無極』が頭をよぎり、つっこみスイッチがピコーンと入ってしまった。そして趙の奴隷が話す中国語のなまりにアレ?と思い、顔を見て、えええええ・・・春秋戦国時代の中国だよ・・・ね?・・・どちらからいらしたの?と度肝を抜かれました。シュールなコントのよう。ラストの方に唐突に出てくる趙の乗り物がすごくクールで、わーー、わたしもあれに乗りたい!って思ったよ。そんなかんじで、ところどころでニヤニヤニヤニヤ。楽しかった。水のシーンでは、志村うしろ!と何度も叫びそうになりました。

戦いのシーンでは、「こんなにも多くの命を犠牲にしてまで手に入れたいものって何なんだろう?」という空しさでいっぱいに。墨子は「人を一人殺せば死刑になるのに、戦争で大勢を殺せば英雄になる」という矛盾を、2000年以上も前の時代に糾弾していたとのこと。そんな墨子が提唱した「兼愛・非攻」の思想をテーマにした映画を、中国と韓国と日本そして台湾に香港と、それぞれの歴史的背景の中で生まれ育った人たちが協力しあって作り上げたということは、とても意味のあることだと思いました。

しかしアンディは本当にかっこいいなーー。たまーに見せる笑顔がまた良い。チラリズム。撮影中に脚を骨折したというのは、この映画だったのかな?本人が体を張ってるシーンはなかなかの迫力でした。息がときどき白いので、現場の寒さが偲ばれます。あと、ニッキー・ウーが懐かしかった!